だいしょや はじめ まして これ は だいしょや と いう ぶんしょ さくせい そふとうえあ の がめん ひょうじ です。 まず だいしょや を つかって `はじめ まして’ と かいて みましょう。 みぎ はし に ひらがな が ごじゅうおん じゅん に たて に ならんで います。 かせん は くうはく すぺーす を しめし ます。 やじるし を みぎ に よせる と もじ が がめん を よこぎり ながれ だし ます。 それぞれ の もじ は しかくい わく に はいって おり、 その わく を かくだい する と あらた に ひらがな いっしき が あらわれ、その ひらがな の もじ それぞれ の なか に また ひらがな いっしき が はいって いる、 と いう ぐあい に、いれこ しき に つづき ます。 だいしょや の いちばん おもしろい とくちょう は、 ある もじ が ぶんしょう ちゅう つぎ に でて くる かくりつ が たかけれ ば たかい ほど、 その もじ の しかく わく が おおきく ひょうじ され ながれ て くる、と いう ところ に あり ます。 かくりつ は その じてん まで に さくせい された ぶんしょ から けいさん され ます。 つぎ に でて くる かくりつ の たかい もじ は おおきい わく で ながれ て くる ので、 たいてい の ばあい、 つぎ から つぎ へ と らく に もじ が ひろえる こと に なります。 それ どころ か、 たんご の かしら いち に もじ を かく と、 その あと は そふとうえあ が さとって じどう てき に たんご ぜんたい を しあげ て ながし て くる こと も めずらしく あり ません。 やじるし は みぎ に よせれ ば よせる ほど もじ の ながれ が はやく なり、 ひだり に もどせ ば おそく なり ます。 もじ を ひろう に は やじるし を じょうげ させ ながれ て くる ところ を まちぶせ すれ ば よい の です。 ちょっと じどうしゃ の うんてん に にて います ね。 おのぞみ の もじ が みえない ばあい は、 ごじゅうおん じゅん で その もじ が ある べき かしょ に やじるし を もって いって ください。 じき に ひょうじ が あらわれる はず です。 この じっけん は だいしょやの つかいかた が よく わかる よう に わざ と ゆっくり に して あり ます。 すこし れんしゅう なされ ば、 すらすら と かける よう に なる でしょう。 つかい やすく、 つかい たのしい そふとうえあ だいしょや。 ぜひ いちど お ためし ください。 けものは、からだじゅうに けが はえて いる どうぶつのことです。 きつねも けものの なかまです。 けものは あかちゃんで うまれて、 おちちを のんで そだちます。 さむい ところに すむ けものには けが いっぱい はえています。 けは おーばーのように あたたかです。 あつい ところでは、 けは みじかく うすく はえます。 いちねんに いちど、 さむく なる まえに、 みじかいけと ながい けが はえかわります。 けものは おとなに なると じぶんで たべものを とります。 けものには、ほかの けものの にくを たべる けものや、くさや きを たべる けものなどが います。 きのうえで くらす りすの おかあさんは、 かたい きのみ ばかり たべています。 でも、やっぱり おいしい おちちで あかちゃんを そだてます。 このように、 けものは、 なにを たべても、 おかあさんからは おいしい おちちが でて、 あかちゃんが そだつのです。 けものは たべものの あるところなら せかいじゅうに すんでいます。 しまうまは あふりかの ひろい そうげんにいて、 じめんに はえた くさを たべて くらす けものです。 てきが きたとき、はしって にげるために、 ながい すまーとな あしを もっています。 さいも くさを たべる けものです。 でも、あまり はしるのが とくいでは ありません。 だって、こんなに おもくて おおきな からだですから。 てきが きても にげません。 からだごと ぶつかっていきます。 ぞうは さいよりも からだが おおきくて おもい けものです。 からだが おおきいから すぐ おなかが へります。 いつも たべていなければ たいへん。 じめんの くさだけでは たりません。 からだを あまり うごかさずに、 ながい はなを つかって、 まわりの きのはや えだまで たべます。 ぞうの はなが もしも みじかくて、 じめんの くさしか たべられないとしたら、 ぞうは おなかが ぺこぺこになって しんでしまうでしょう。 きりんは せの たかい けものです。 ほんを よこにして みてください。 たかい きの、たかい ところの はっぱは とても やわらか。 それが きりんの だいこうぶつ。 くびを のばして たべているうちに、 いつのまにか きりんの くびは こんなに ながーくなって しまいました。 くさや きのはを たべる けものたちは、 いつも くちを もぐもぐもぐ。 でも、きのかげで ぐーぐー ひるねを している けものがいます。 らいおんです。 おなかが へると うおー。 はしって にげる すまーとがたの けものたち。 らいおんは はさみうちにしたり、 おいかけたりして つかまえます。 でも、しまうまやきりんは あしが はやいし、ぞうや さいは こわい。 らいおんも、たべものを とるのに たいへんなんですよ。 こわいけど けものを たべる けものが いないと たいへんです。 くさや きや はっぱを たべる けものが どんどん ふえて たべる くさや きがなくなって、 みんな うえて しんでしまいます。 だから けものを たべる けものを きらわないでくださいね。 はしっても おそい。 からだは おおきく ない がんじょうでも ない。 そんな けものも います。 やまあらし。 でも けが はりに かわって てきが たべようとすると さしてしまいます。 よわいようで つよい つよい かわった けものです。 うみには たべものが いっぱいです。 その うみに はいっていって、 うみで くらしている けものが、くじらです。 さかなのように およいでいるうちに さかなのような からだに なってしまいました。 けも すっかり なくなって つるつるです。 でも ひふが 30せんちめーとるもあって さむく ありません。 けものは、じめんの なかにまで いて くらして います。 みみずや こんちゅうの こどもを たべて います。 からだの かたちは じめんの なかで くらしやすいように なって います。 とりのように そらを とぶ けものは、こうもりです。 よる たくさん とぶ こんちゅうを たべたくて、 こんな からだに なりました。 だって、ひるまは とりが いますし、 こうもりを たべる けものも たくさん いますから。 かんがるーの あかちゃんは、 ほかの けものの あかちゃんのように じょうぶでなく、まだ よわいままで うまれます。 かんがるーは、しばらく おかあさんの ふくろの なかで おちちを のんで おおきくなる かわった けものです。 とても りこうな けものが います。 るいじんえんです。 だいすきな くだものを とるのに ぼうきれを つかうことが あります。 からだは さるよりも ひとに にて います。 ひとも けものなんです。 そうでしょう。 けが あります。 おちちで そだちます。 ただ、 けものの なかで いちばん りこうな けものです。 くらしやすいように くふうしたり、 たべものを つくりだしたり、 ふやしたり たのしく くらせるように かんがえる けものです。 からだに けが はえて いて けものなのに、まるで とりの ような どうぶつです。 でも、あかちゃんは おちちで そだちます。 けものは、からだじゅうに けが はえて いる どうぶつのことです。 きつねも けものの なかまです。 けものは あかちゃんで うまれて、 おちちを のんで そだちます。 さむい ところに すむ けものには けが いっぱい はえています。 けは おーばーのよう とりとは、つばさを もっていて そらを とべる どうぶつのことです。 とりの からだは、とても かるい うもう と いうもので つつまれて います。 とりは、つばさを はばたいて そらを と び、たべものを さがします。 とりは、とんで たべものを とらなければ な りません。 おかあさんとりが、にんげんのように おなかの なかで あかちゃんを そだてるとしたら、おか あさんどりは おもくて そらを とべません。 だから、ひとめに つかない ところに すを つくって たまごを うみ、あたためて ひなが かえるのを まちます。 たまごから かえった ひなは、やがて うもうが は えて、すから でるように なります。 でも、まだ とべません。 おかあさんの とぶのを みたり、えさを もらったり して いるうちに とべるように なります。 とりは たべるものに よって、か らだの かたちが ちがいます。 とんでいる こんちゅうを たべる つばめは、とても はやく とばな ければ なりません。 いつのまにか じぇっときのような りゅうせんけいに なりました。 そとうみの さかなを たべる あほうどりは、ながい つばさを もって います。 ながい つばさの おかげで、あほうどりは はばたかず に うみの うえを すべるように とんで いられます。 さかなを みつけると とびながら くちばしで つかみ ます。 つばさが おおきくて ながい わ しは、おおぞらを ゆっくり まわ りながら、えものを さがします。 みつけると、きゅうこうかして つ かまえます。 わしは、ちいさな けものを たべ る とりです。 はなの みつが だいすきな とりは はちどりです。 はちどりの つばさは くるくる まわります。だから へりこ ぷたーのように くうちゅうで おなじところに いられます。 はなの みつを すうのに べんりです。 はちどりは せかいで いちばん ちいさな とりです。 とりの せんぞは、とかげの なかまです。 とても はやく はしれる どうぶつでした。 こわい てきが いっぱい いたので、すば やく うごかなければ なりませんでした。 きの うえを とびまわって いるうちに、 わきの したの うろこが だんだん ふえ て のびはじめました。 そういった どうぶつの なかから、とぶの に もっと つごうの よい なかまが あ らわれました。 うろこは のびて ほそながい かるい う もうに かわって います。 ほとんど いまの とりの すがたをして いましたが、はばたいて とびあがることが できないので きの うえから おりるだけ でした。 いま、とんでいる とりは みな はばたいて とびあがれます。 まえあしが つばさに かわって しまい、むねの つよい きんに くを つかって はばたくことが できるからです。 きよくあじさしは とりの なかで いちばん はやく、とおくまで やすまずに とべます。つばめよりも もっと りゅうせんけいで、 だんがんのように とびます。 ほっきょくに すんで いますが、ふゆに たべものが なくなると、 なんきょくまで とんで いきます。 きじは からだが おもいので ひつような とき いがいは とびません。 じめんの うえに いる むしや、くさの みを た べて います。 きじの あしは がんじょうで じめんを あるくの に べんりです。 よるに なると はやしの なかで ちいさな けものたち が えさを さがしに でかけます。 ふくろうは その けものたちを おそう とりです。 ふくろうは めで みるだけで なく、かすかな おとを ききわけて、やわらかな つばさを は ばたいて えものに おそいかかります。 きの なかには きくいむしが たくさん います。 その むしを たべたくて、こんな くちばしと あしを もつように なりました。 こん こん こん。 きから きへ むしを さがして、 こん こん こん。 くさを たべる だちょうは、からだが おもいので、そらを とぶより はしった ほうが はやい、はやい。 いつも はしっているうちに、つかわない つばさは ちいさくなって しまいました。 ぺんぎんは とぶことより およぐのが とくいです。 みずの なかの さかなを つかまえて います。 つばさは さかなの ひれ のように なりました。 あびは、ぺんぎんと おなじように、みずの なかを もぐるのが とくいです。 でも、あんまり もぐってばかり いたので、 あるくことが できなく なりました。 さかなのように およぐとりです。 しらさぎは さかなが だいすきですが、もぐれない ので、みずの なかを あるいて、くちばしで つか みます。 あしは ながくなって あるき やすくなり、くちば しは さかなを とらえやすく なりました。 かもは みずの なかに はえて いる みずくさや、もが だいすきです。 もぐれないので さかだちして、おしりは みずの そと。 くちばしは ひらたくて みずくさを とるのに べんりです。 とりは ほかの どうぶつと ちがって、たべもの を もとめて、うみを こえる たびを します。 きせつの かわりめに そらを ごらんなさい。 れつを くんで とんで いく とりを、みること ができるでしょう。 あじは ひろい うみを およいで くらす さかなです。 あじは、なんぜんまんこの たまごを ひろい うみの なかに うんで、う みっぱなしに します。 にんげんは、ふつうは あかちゃんを ひとり うんで たいせつに そだて ます。 とりも 1ねんに 10こから 20この たまごを うむだけです。 どうして さかなは こんなに たく さんの たまごを うむのでしょう。 うみの なかは さかなが たくさん います。 あじの たまごは、どんどん ためられて しまいます。 あじは ひろい うみを およいで くらす さかなです。 だから、ひとつの きまった ところで たまごを まもっ たり、せわを したり できません。 そのために、いくら たべられても こぼれて いきのこる たまごが あるように たくさん たくさん うむのです。 さかなには、ひろい うみを およぎ まわらない さかなも います。 いけや ぬまに すむ ふなも そうです。 ふなの たまごは うみおとされると すぐ みずくさに つきます。 ほかの さかなに たべられないので、 たまごの ほとんどが かえって お おきくなります。 いえを つくって たまごを まもる さか なも います。 いけや かわらに いる とげうおです。 おすが くさを はこんで まるい すを つくり、めすを つれてきて すの なかで たまごを うませます。 めすが たまごを うむ あいだ、おすは てきが こないように みはりを します。 かいは いきを するときに くだを だします。 かわや ぬまに いる ばらたなごの めすは、その かいの くだの なかに、たまごを うむための ほそい くだを い れて、すばやく たまごを うみつけます。 かたい かいの からだの なかに たまごを うめば もう あんしんです。 おおきな うぐいが きても へいきです。 うみで くらす さけは たまごを あん ぜんに そだてるために、 うみから かわ を のぼって、 てきの すくない みずの すんだ ばしょに たまごを うみます。 おで みずそこに あなを ほって めす が たまごを うむと、 おすが しろい えきを かけます。 そして また じゃりを かぶせて わか らないように します。 たまごが かえると じゃりの あいだか ら あかちゃんが でます。 めすが うんだ たまごに、 おすが しろい えきを かけます。 そして しばらくすると、 たまごから あかちゃんが うまれます。 たまごの きみは、 まだ じぶんで たべものを とれない あか ちゃんの だいじな えいようです。 さかなの こどもは じぶんで たべものを たべられるように なると、 みずの なかの ひとの めには みえない ちいさな くさや どうぶつを たべます。 このような、 みずに ただよっている ちいさな いきものを、 ぷらんくとんと いいます。 こどもは くちを ぱくぱくして、 みずと いっしょに ぷらん くとんを のみこみます。 まだ、 じぶんで およいで たべものを さがせないので、 こう して くちの なかに はいって くる ものを たべて おお きく なります。 さかなの こどもたちは まだ およげないので、 なみに ながされながら くらします。 なかには かいや えびや かにの こどもたちもいます。 このように、 うみの ひょうめんを ただよって いる ちいさな こどもたちを ねらう さかなが います。 いわしが そうです。ほそながい からだを くねらせて すばやく こどもたちを たべてしまいます。 いわしは おなかが いっぱいに なります。 でも、 その いわしも あんしんは していられません。 もっと おおきな とびうおが たべてしまうからです。 そして、 とびうおも かつおに、 かつおは まぐろに、 その まぐろは さめに、 たべられて しまいます。 さめは にんげんに ころされたりして しぬと、 ばら ばらに なって、その めに みえない にくは、ぷら んくとんの たべものに なります。 うみの なかには、こうして たべたり たべられたり して、ひとつの わが できて います。 くろまぐろは、とびうおや いわしを おって、ひろい たいへいようを ぐるぐる およいで たびを します。 きたから みなみまで いく さかなも います。 じぶんの いちばん くらしやすい おんどの みずの ところを たべものを さがして およぎ つづけます。 ひろい うみを およいで くらす さかなの こどもには てきが い っぱい います。 あまり およがないで くらす で ぃすかすの おかあさんは、じぶん の からだに こどもを くっつけ て おもりを します。 そら、てきが きたよ、おとうさんの くちの なかに おはいり。 てぃらぴあの こどもたちは、いっせ いに、くちの なかに はいります。 おおきくなるまで おとうさんが ま もって くれます。 うみたなごと いう さかなは でぃ すかすや てぃらぴあより もっと あんぜんに こどもを うみます。 うみたなごの おかあさんは、おなか の なかで たまごを かえすのです。 たまごから かえった あかちゃんは すこし おおきく なってから はじ めて そとに うみだされます。 にんげんみたいですね。 めを ほそめて みてごらんなさい。 おおきな さかなに おわれて さばが にげて います。 でも、よく みると、おおきな さかなに みえたのは ちいさな いわしの たいぐんでした。 おとなになっても ちいさな よわい さかなは むれを つくって くらします。 たべものを みつけやすいし、てきを こうして おどか すことも できるからです。 まぐろに おいかけられた とびうおは ばさっと む なびれを ひろげて とり のように なみの うえを とんで にげます。 はやく およいでいるうち に だんだん むなびれが のびて きて とう とう とべるように なりました。 うみの そこの すなの うえに かれいが います。 てきが くると すなの うえに からだを よこに して かくれます。こうして いつも からだを よ こにして いたので、こんな からだに なりました。 てきも かれいに きが つかないし、おいしい え びも きが つきません。 そばに くると、ぱくりと たべてしまいます。 うみの そこにある かいそうの もりに へこあゆとたつのおと しごが すんで います。 かいそうと いっしょに ゆら ゆらと ゆれて います。 これでは てきも きが つきま せん。その あいだに せっせと たべものを さがします。 からだの かたちは すこし か わっていますが、ひれも あって りっぱに さかなの なかまです。 ひかりが とどかない うみの そこにも さかなが すんで います。 でも、ふかい うみの そこでは たべものは すこししか ありません。 だから、さかなたちは たべものを とりやすいように、ふしぎな すがたに からだを かえて、いっしょうけんめい えさを さがして います。 にんげんは みずの なかでは いきが できないのに、どうして さかなは いき て いられるのかしら。 それは えらが ある おかげです。 さかなの からだを よく みてください。 やつめうなぎは、さかなの なかで いちばん おおむ かしから おなじ すがた で くらしてきた さかな です。 あごが ないので ものを たべられません。 そこで、ほかの さかなに すいついて、ちを すって くらして いる こわい さかなです。 はいぎょは みずが なくても へいきです。くうきを すったり はいたり できるからです。 まちから とおく はなれた、ある おかの うえに、ぞうきばやしが ありました。 その なかに、おおきな くりの きが 1 ぽん ありました。 おおきな くりの きは、6がつの あかる い たいようの ひざしを うけて、やわら かな はを のび のびと ひろげて たっ て いました。 くりの きは はなを さか せて いました。 でも、くりの はなは、ばら のような はなやかな はな では ありません。 ふさのように なった、しろ っぽい はなで、とても よ い かおりが します。 とりが やってきました。 くりの きの はには こんち ゅうが たくさん います。 はを たべたり、はの しるを すったり して います。 とりは この こんちゅうを とりに やってきます。 こんちゅうたちは、ほとんどが まだ ようちゅうです。 ようちゅうは やわらかいので、 とりの ひなの ごちそうに ちょうど よいのです。 ようちゅうの なかには、とり に たべられないように くふ うした くらしかたを して いる ものも います。 ほとんどの こんちゅうは おやに なると、りっぱな はねが はえます。 これは、そらを とんで きれいな およめさんや、つよい おむこさんを さがして、けっこん する ためです。 ふつう、めすや おすを ひきつける ために、からだには うつくしい も ようが あります。 がの くすさんも うつくしい はね を もった おやに なりました。 かおりの よい、くりの はなには たくさん の こんちゅうの おやが やって きて、み つを すったり、かふんを たべたり します。 くりは こんちゅうたちに みつを あげる かわりに、たいせつな しごとを して もら います。 その たいせつな しごとと いうのは、 おばなの かふんを めばなに はこん であげる ことです。 こんちゅうの からだに ついて きた おばなの かふんは、めばなに つきま す。そして その かふんが、めばなの なかに はいって いくと、たねが で きるのです。 かふんが めばなの あたまに つくと ながい くだが のびて、かふんの な かの ものが、めばなの おく ふかく に はいって いっしょに なります。 そうすると、そこが たねに なって だん だん おおきく なるのです。 くりの きには、かわった こんちゅうも すんで います。 おとしぶみという こんちゅうも そうです。 おとしぶみは、はを まるめて その なか に たまごを うんで、それを じめんに おとす かわった そだてかたを します。 こどもが、とりや おおきな こんちゅうに たべられないための くふうです。 ななふしは はねの ない こんちゅうです。 てきに たべられないように、かわった か らだを して います。 きの えだを のそり のそり、 てきが くると じっと うごきません。 まるで きの えだ そっくりに みえるの で、てきも みのがして しまいます。 やがて なつが きました。 くりの はは、もう やわらかな みどりでは ありません。 こい、たくましい みどりに そ だって います。 なつは こんちゅうたちの せか いです。 なつの くりの きは どんな ぐあいでしょう。 なつに なって まず やって くるのが せみです。 せみは くりの みきの しる を すったり、たまごを うみ つけたり します。 また、しろすじかみきりや ぼ くとうがも やってきて、くり の きの みきに たまごを うみつけます。 まなつに なりました。 しろすじかみきりや ぼくとうがの こどもが、くりの きの な かで だん だん おおきく なります。すると、その こどもの とおりみちから あまい しるが、きの そとへ にじみでて き ます。おさけのような おいしい しるです。 かぶとむしが その おいしい しるを、ひげで かぎつけて、や ってきました。ほかの こんちゅうも きました。でも、つよい ものから じゅんばんに おいしい ところを とって いきます。 えいっ。 みごとに かみきりむしに はりが ささって、もんお ながばちの たまごが か みきりむしの こどもに うみつけられました。 この はちの こどもは、 かみきりむしの こどもの からだの なかで そだつ のです。 たべものは あるし、てき も いないので、おかあさ んは あんしんです。 くりの きの えだに たくさんの あぶらむしが います。 あまくて おいしい くりの きの しるを のんで います。 あまり のみすぎて、おいしい しるは あまってしまい、あぶら むしの おしりから ぽとん ぽとんと でて きます。 それを ありが のみます。 てきの てんとうむしが きて、あぶらむしを たべようと する と、ありが ふせいで くれます。 いきて いる こんちゅうだけを たべて くらす こんちゅう が います。おおかまきりです。まえあしが かまのように な って いて、これで こんちゅう を はさんで つかまえます。 ぎんやんまが かを おいかけて います。 くりの きの えだの、またの ところに あまみずが たまって、 そこで うまれた やぶかです。 でも、もう おわりです。 とんぼの おおきな めに みつ けられたら たすかりません。 ぎんやんまも、いきて いる こ んちゅうを たべる、こんちゅう です。 そろそろ あきがぜが ふいて くる なつの おわりです。 ころぎすは、くりの はを よせあつめて うちを つくって はいって います。ひるまは うごきません。 かまきりや やんま、それに とりも こわいからです。 その かわり、よる あるきまわって、けむしを たべます。 おおきく なった くりの みに、ちいさな ぞうむしが やってきました。 ながい ながい くちが ぞうの はなのよ うです。 くりの みに やってきた ぞうむしは、く ちで くりの みに あなを あけると、は んたいを むいて、おしりを つきだします。 そして、くりの なかに たまごを うみつ けるのです。 ここにも、たまごを まもろうと、いっしょ うけんめいの おかあさんが います。 あきが きました。 つめたい あきがぜが ふき はじめ、とお い しべりあから かもが やってきました。 この ころに なると、やまも のも、はや しも、この ぞうきばやしも、きいろく、そ して あかく そまって いきます。 くりの きも きいろく なりました。 くろく なった くりの みは、どんどん おちて いきます。 あきは ふかく なりました。 くりの はも すっかり おちて、あとは ふゆが くるのを まつばかりです。 こんちゅうたちも みんな すがたを けし ました。 あかたてはが よた よた とんで います。 こうろぎが ころ ころと さびしげに な いて います。 くりと いっしょに どんぐりが たくさん じめんに おちて います。 ふゆが きました。 ゆきも ふりはじめました。 きびしい ふゆの あいだ、 こんちゅうたちは どこで なにを して、すごして いるのでしょう。 きの あいだや かれはの したを よく みてください。 こんちゅうの おやたちは、いのちを たまごや ようちゅ うや さなぎに うけつがせて しんで いきました。 いきて いる こんちゅうは、かれきの あいだで、さむい ふゆを すごします。 あたたかな はるが くるのを じっと まって います。 まちから とおく はなれた、ある おかの うえに、ぞうきばやしが ありました。 その なかに、おおきな くりの きが 1 ぽん ありました。 おおきな くりの きは、6がつの あかる い たいようの ひざしを うけて、やわら かな はを のび のびと ひろげて まちから とおく はなれた やまの なかに ひろい はたけが ありました。 おひゃくしょうさんが まいにち せっせと せわを して いましたから、さくもつが いきいきと みのって いました。 ところが ある ひ、おひゃくしょうさんは はたけ いっぱいの やさいを ぬいて、とらっくに つんで、 もって いってしまいました。 そして、そのまま にどと はたけに きませんでした。 おひゃくしょうさんは まちへ ひっこしてしまったのです。 つちばかりの はたけは その まま ほおって おかれました。 はたけは すてられてしまったのです。 はたけは、なんにちも たいようの ひに てらされたり、 あめが ふりつづいて みずを ふかく しみこませたり して いました。 なんにちも なんにちも ひが たちました。 ある ひの ことです。 すてられた はたけに あたらしい ことが はじまりました。 くろぐろとした つちから にょき にょきと いろいろな くさの めが ふき だして きたのです。 みんな みずみずしい いろの わかばを おもいきり そらへ むかって のばして いました。 くさの めは たちまち のびて いろいろな くさに そだち、 くさには いろいろな はなが さきました。 いつの まにか、はたけ いっぱいに くさが はえて いました。 でも、この くさたちは、さむい ふゆが くると みんな かれて しんで しまいました。 かれて しんでしまう まえに くさたちは じぶんたちの いのちを たねの なかに のこしました。 たねには わたのような けが ついていて、 かぜに ふかれると ぱらしゅーとのように とばされて いきました。 それは、すこしでも ひろく じぶんたちの なかまを ふやそうと ねがって いるようでした。 また、くさの なかには ふゆが きても しなずに、 じめんに ぴったりと はを つけて ふゆを こす くさが あらわれました。 その くさは はじめて はえた くさよりも いくらか せが たかく、くきの がんじょうな くさでした。 さむい ふゆを こして つぎの としの はるに また はなをさかせるには じょうぶでなければ ならないからです。 そのうち、くさたちの なかに、くきのふとい、 じょうぶな くさが ほかの よわい くさを おいだし はじめました。 なかでも いちばん つよい すすきが だんだん ほかの くさたちを おいだし はじめたのです。 やがて いちめんの すすきの はらに なりました。 じょうぶで つよい すすきが ほかの くさを みんな おいだして しまったからです。 ところが その すすきも あたらしい くさに、 いいえ、きに おいだされ はじめます。 あかまつは くさと ちがって かたくて じょうぶな くきを もつ きです。 さすがの すすきも かないません。 だんだん あかまつが おおきく なっていきます。 あかまつは どんどん おおきく なり、 せが たかく、みきは ふとく なっていきます。 すすきは あかまつの はの かげに なり、 かれて いきました。 すすきは たいようの ひざしを うけて いないと いきて いけないのです。 あかまつは たいようの ひかりが だいすきです。 どんどん のびて、たちまち あかまつの はやしに なりました。 すすきは はじっこに すこし はえて いるだけです。 あかまつの はやしの なかは すこし うすぐらく なり、 こんどは、うすぐらいのが すきな くさや きが はえてきました。 あかまつが みんな おおきく そだって しまうと、 その はやしの まわりに、つるを もった くさが はえてきました。 おおきな はを かさねながら まつに からみついて のびて いきました。 そして とうとう、はやしの いりぐちを すっかり ふさいで しまいました。 そのために、はやしの なかは ますます くらく なって、 つよい かぜも はいって こない、 しずかな うすぐらい はやしに なりました。 あかまつの はやしには よく とりが きました。 あかまつの しげみは つよい かぜを よけてくれるし、 まつには いろいろな むしが いるので、 それを たべに くるのです。 たべるだけでは なく、あつまった とりたちの ふんの なかには とおい ところに はえて いるきの みや たねが まじっていました。 かぜとおしの わるく なった はやしには、 かぜと たいようが すきな あかまつの こどもは もう そだちません。 はえてくる きは、うすあかりの はやしの なかで そだつのに つごうの よい ちいさな はを もった きです。 その きの ちいさな はは、こい みどりいろでした。 この きは かしの きです。 どんどん ふとく、おおきく そだっていきます。 かしの きが おおきく なるにつれて、 としを とった あかまつは かれたり、おおかぜに たおれたりして、かずが だんだん へって いきました。 あかまつは いま、かしに まけて おいだされつつ あるのです。 やがて なんびゃくねんか たちますと、 あかまつは ほとんど なくなって、 すっかり かしの もりに なって いました。 こんもりと しげった はのために、 もりの なかは すっかり くらく なって しまいました。 かしの もりには いろいろな どうぶつが すみつきました。 こんちゅうが たくさん いますから、とりが きて、 そのとりを おって ふくろうや たかも やってきます。 たぬきや ねずみも すみつきました。 また、うすぐらいので じぶんを まもるにも つごうが よいのです。 ところが あるひ、かしの もりに だいじけんが おこりました。 やまかじです。 かみなりが おちたのでしょうか。 きが こすれあって ひを だしたのでしょうか。 ごぉー ごぉー ぱち ぱち ぱち ひの こが とび、けむりは どうぶつたちを もりから おいだして しまいました。 なんにちも もえつづけて とおい まちから しょうぼうの おじさんたちが きた ときは、 もう すっかり もえた あとでした。 あの ふとい かしの みきが くろく こげて たって いるだけでした。 なんにちか たちました。 くろく こげ、たちがれている きの ねもとに ちいさな あたらしい いのちが めを だしました。 それも ひとつでは ありません。 あちらにも こちらにもです。 この めたちも やがては くさと きの ながい ながい たたかいを くりかえし、 ちからづよい もりに なって いくことでしょう。 るいじんえんである ちんぱんじーや ごりらは、 かおや しぐさが ひとに とても にて います。 どうしてでしょう。 でも、ちがう ところも ありますね。 それは どんな ところでしょう。 これから その わけを みて みましょう。 とおい むかし、きょうりゅうが くらして いた ころ、 ちきゅうは あつい ひが つづいて いました。 なんまんねんか たって、ちきゅうは ひえはじめました。 きょうりゅうたちは しにはじめて、かわりに、さむくても へいきな けものの せんぞが あらわれました。 その じゃんぐるに くらしている けものに、ちいさな ちいさな なかまが いました。 いま いる じねずみと ほとんど おなじすがたを していました。 おおきな おそろしい てきから にげて もりの なかの じめんの うえで、はなと ひげを つかって こんちゅうや みみずを たべて くらして いました。 じめんには ねこや おおかみに にた けものが いて、 じねずみにとっては とても あぶない ところです。 そこで、ながい あいだに じねずみの あるものが、 きの うえで くらすように なりました。 それが いまの つぱいの なかまです。 きの うえにも こんちゅうや くだものが いっぱい あるので、これを たべて くらして います。 やがて、いまの きつねざるに よく にた さるが あらわれました。 ては えだを しっかり にぎれるように なって、 きのぼりが じょうずです。 めも ますます ちかづいて、ふたつ ならび、まえの ものが はっきり みえるように なりました。 おおきな めだまで、ふくろうみたいな めがねざる。 まえの ほうが よく みえるようにと、 こんな さるが あらわれました。 ちいさな こねこぐらいの からだで、 よる きから きへ かえるのように とんで、こんちゅうを さがします。 おおむかしと おなじすがたで いまも いきつづけて いる めずらしい さるの なかまです。 やがて、いまの あめりかたいりくに、きのぼりが とても うまい さるが あらわれました。 いまの くもざるに とても よく にた さるです。 じめんには おりないで、きの うえでしか くらせない からだつきに なって いました。 ながい おを ごほんめの うでのように つかって、 じゆうに きの うえを あるきまわりました。 きのぼりが じょうずなだけではなく、 じめんに おりて くらす さるも あらわれました。 いまの にほんざるに よく にた なかまでした。 むれで くらし、いっぴきの おすが むれを とりしまる、 かしこい さるです。 やがて、にほんざるよりも びんしょうな さるが あらわれました。 いまの てながざるに よく にた さるです。 この さるは にほんざると ちがって、うでを まえと うしろだけで なく、うえにも みぎ、ひだりにも じゆうじざいに うごかせました。 だから、きから きへ うつる ときも、えだの うえを はしらずに、うでを つかって、わたることが できました。 じめんにも おりて、にほんあしで よちよち あるく ことも できます。 るいじんえんの なかまには、てながざるの ほかに からだの おおきな ものも いました。 きのぼりは もちろん、えだわたりも できました。 でも、からだが おおきくて おもいので、きの うえに いるよりも、じめんに おりて くらすほうが おおかったようです。 いまの ちんぱんじーや ごりらに とても よく にた なかまです。 このころ、さるたちにとって、おそろしい ことが おこって いたのです。 ちきゅうが さむく なってきて、きたと みなみの ほうから こおりが はりだして、さるの すむ じゃんぐるは だんだん せばめられて いったのです。 かわりに、きが まばらに はえた そうげんが ひろがり はじめました。 もりの なかで きに のぼったり おりたりして いた るいじんえんの なかまの あるものが、かわに そった もりに すむ うちに、やがて、へいげんで くらし はじめました。 へいげんには ちいさな くさの たねや こんちゅうが たくさん いました。 でも、てきが おおいので、いつも とおくを ちゅういして みて いなければ なりません。 そして、りょうてを じめんから はなして にほんあしで たって あるく なかまが あらわれたのです。 これが さいしょの にんげんです。 やがて、もっと いまの にんげんに にた すがたの にんげんが あらわれました。 まだ、まっすぐ たって あるけないで、 がにまたで よたよた あるいて いました。 はじめの うちは、くさの みや きの み、 はなどを たべて いました。 だから、ごりらや ちんぱんじーのように あごが がんじょうでした。 へいげんには ちいさな けものが いっぱい いました。 にんげんは、おおきな けものが たべた のこりの にくを ひろってきては たべていましたが、 やがて、じぶんたちで つかまえるように なりました。 つかみやすい いしを つかって けものを ころす どうぐにした はじめての にんげんです。 やまかじや かざんの ばくはつなどの ひは とても こわい おそろしいものでした。 でも、やがて その ひを てに とってみた ゆうかんな にんげんが あらわれました。 この にんげんは ひが とても あたたかくて、 この ひで にくを やくと やわらかく たべやすいことを しったのです。 もりを でて、へいげんで くらすように なって ながい じかんが たちました。 にんげんは あめや ゆきを さけて、どうくつを みつけて はいって いるうちに、とても すみやすいことに きづきました。 そして、かぞくで どうくつに くらし はじめました。 ねあんでるたーるじん。 これは、はじめて にんげんらしい ほねつきや しせいを もった にんげんの なまえです。 みたところは おおむかしに もどって、 るいじんえんのようですが、 とても あたまが よく、かりが じょうずで、けがわを みに つけるように なりました。 さむさは ますます きびしく なってきて、 ねあんでるたーるじんは やがて いなく なって しまいました。 そのときに あらわれたのが、くろまにおんじん と いう、 いまの わたしたちと まったく かわらない にんげんなのです。 いしの どうぐは ますます するどく つくれるように なりました。 くろまにおんじんは えものが もっと たくさん とれるように、 ほらあなの かべに えものの えを かいて いのりました。 こぼした くさの みが つぎの としに めを だして また みを つけて いるのに きが ついた にんげんは、やがて、 はたけを たがやして たねを うえました。 もう、けものを おいかけて うつりすむのを やめ、 いえを つくって、あまった みを ためました。 こうして、いつも たべものが あるので、 にんげんは せかいじゅうに どんどん ふえて いきました。 ひとつの ばしょに すみついた にんげんには たべものを さがさなくても よい じかんが うまれました。 そのとき、にんげんは いろいろな ものを つくりました。 その なかでも、ほんが いちばん たいせつな ものでした。 はるに なると、くさや きは いっせいに はなを さかせます。 いろいろな いろ、いろいろな かたちの はなが さきます。 とても きれいです。 でも、くさや きは にんげんに みせるために きれいな はなを さかせるのでは ありません。 はなどおしで しそんを ふやすための きょうそうを して いるのです。 つくしは すぎなの こどもです。 つくしには みつばちや ちょうは やってきません。 なぜなら、はなが ないからです。 はなの さかない つくしは、ちいさな こなぶくろを もっていて、 かぜが ふくと、ふくろの くちから こまかい こなを まきちらします。 おおむかし、ちきゅうが いちねんじゅう むしむしと あつかった ころ、すぎなや つくしに よく にた おおきな きが はえて いて、はなでは なく この こまかい こなで ふえて いました。 おおむかしの きや くさには はなが ありませんでした。 みつばちや ちょうは しだに みむきも しません。 しだも つくしのように はなが さかないからです。 だから、しだは つくしと おなじに こまかい こなを とばして ふえるのです。 でも、こんな こなでは かわいた ところや、ひがあたる ところでは、しんでしまいます。 この しだも、すぎなや つくしと いっしょに おおむかし いきて いた くさの しそんです。 ちきゅうが だんだん さむく なって きた ころの ことです。 すぎなや しだの せんぞは もう そだつことが できません。 やがて、さむさにも つよくて、みずが すくなくても そだつ たねを つくる きが あらわれました。 それが いまも 、みられる いちょうの きです。 いちょうには、おすの きと、めすの きが あって、おすの きの おばなから めすの きの めばなへ かふんが かぜで はこばれて、 かふんが めばなに はいって たねが つくられます。 まつも いちょうと おなじころに あらわれた おおむかしの きの いきのこりです。 いちょうより すすんでいて おばなと めばなが いっぽんの きに いっしょに ついて います。 かふんは、やっぱり かぜで はこばれて、 ほかの まつの めばなに つきます。 めばなに かふんが つくと にねんぐらいで まつかさに なります。 とうもろこしも まつと おなじように、いっぽんの くきに おばなと めばなが ついて います。 かふんは かぜで はこばれるので、おばなも めばなも ほとんど こんちゅうには きが つかない いろや かたちを して います。 かぜに まかせて いたのでは とても ふあんです。 かぜより もっと たしかな ほうほうで かふんを はこんでもらうために、 こんちゅうを えらんだ はなが あらわれました。 くりの はなは こんちゅうを あまい みつの においで よびます。 くりの おばなに きた こんちゅうは、 からだに かふんを つけて、ほかの えだの めばなへと とびまわります。 いろで こんちゅうを よぶ はなが あらわれました。 いまの たんぽぽのような あかるい いろを もった はなです。 においは なくても、そらを とぶ こんちゅうには すぐ わかります。 こんちゅうに きてもらうために はなたちは きそって うつくしい いろを もちはじめました。 たんぽぽは めばなと おばなが いっしょです。 はなには あかい はなも あります。 でも、あかい はなには みつばちは あまり やってきません。 かわりに ちょうが よく みえる いろと あまり みえない いろとが あるのです。 あおい はなは はちの すきな いろです。 あおむらさきの うつくしい ふじの はなには、みつばち、くまばち、 まるはなばちなどが よく やって きます。 ふじの はなは、おしべも めしべも ないように みえますが、もぐって はいると おいしい みつが あるのです。 はるに なると のはらは きいろい はなで いっぱいです。 これは なのはなとも よばれる あぶらなです。 みつばちや もんしろちょうが やってきました。 みつが とても たくさん あって、みつばちは むちゅうで のんで います。 みつばちは おなかが すくと、きいろい いろが まっさきに めに はいって くるのです。 きいろい たんぽぽの なかは どうなって いるのでしょう。 たんぽぽは ひとつの はなでは ありません。 ちいさな はなが たくさん あつまって いるのです。 だから、みつも たくさん あります。 はなに くる こんちゅうは、からだじゅうに こまかい けが たくさん はえて います。 これは かふんが つきやすく、しかも とんでも おちない しくみで、とても やくだって います。 くちは すとろーのように のびるし、ほかにも、 はなで くらすのに とても べんりな しくみが あります。 やがて、はなには みつも おしべも なくなって、 たねが できます。 この ころには、はなは もう かれてしまって いるので、こんちゅうたちは やってきません。 この たねこそ、はなが いっしょうけんめいに のこそうと した くさの いのちの かたまり なのです。 そして、できるだけ ひろい ばしょに じぶんの いのちを ひろげようと くふうが されて います。 すこしでも はやく こんちゅうに きてもらおうと、 はなびらに めじるしを つけた はなも あります。 やまゆりの はなです。 やまゆりの はなびらと がくは おなじ おおきさで、 おなじ もようが ついて います。 あかい てんてんは ここに みつが あるよという めじるしなのです。 さっそく きあげはが やってきました。 はなに くる こんちゅうは みつを すう こんちゅうだけでは ありません。 くちの みじかい こあおはなむぐりは かふんが だいすきです。 ひめじょおんの はなに やってきました。 しろい はなの なかの きいろい いろは とおくから とても めだって みえます。 しろい はなが だいすきな ひらたあぶも やってきました。 みんな からだに かふんを つけて、となりの はなへ とんで いきます。 くさい くさい みつばちが にげて いきます。 でも はえは この くさった ような においが すきです。 まむしぐさは この かわった においで はえを よびます。 まむしぐさは おすと めすが べつべつに はえる くさです。 はえは おすの はなから かふんを つけて めすの はなへ やってきます。 まむしぐさには はなびらが ありません。 はの かわった もので つつまれて います。 うまのすずくさという くさは、 まむしぐさと おなじで くさい においで こんちゅうを よびます。 くさい においの すきな あぶは、はなの なかに はいって いっしょうけんめい みつを すって います。、 はなの なかには、たくさんの けが さかさに はえて いるので、なかに はいった むしは なかなか でられません。 みっかぐらい いて、からだじゅうに かふんを つけて つぎの はなへ とんで いきます。 ひるまだけ さく はなばかりでは ありません。 よる さく はなも あります。 よる さく はなは おおきくて、しろっぽくて、 らっぱのような かたちを して います。 すずめがの なかまが やってきて、すとろーの ように のびる くちで みつを すいます。 かふんを はこんで もらうのは こんちゅうだけでは ありません。 はちどりと いう ちいさな ちいさな とりが、ながい くちばしを はなの なかに いれて みつを すいます。 あふりかには ひろい ひろい そうげんが あります。 そこには くびの ながい きりんや、はなの ながい ぞうが、 おおきな からだで ゆうゆうと くらして います。 いま ある そうげんも、おおむかしは もりでした。 ほっきょく ちかくまでも ひろがって いて、あつくて、 じめじめした じゃんぐるでした。 でも、もりには いまのように うつくしい はなを もった きや くさは ありませんでした。 おおきな しだや、いちょう、まつの なかまばかりの もりでした。 しめった むしあつい もりには おおきな とかげの なかまたちが くらして いました。 それが きょうりゅうです。 その おそろしい きょうりゅうの めを さけて、 ちいさな いきものが くらして いました。 それが、いまの けものの せんぞ なのです。 いつのまにか ちきゅうは ひえて さむく なって きました。きょうりゅうは、つぎつぎとしんで いきました。 さむく なったり、あつく なったり して、 はる・なつ・あき・ふゆの きせつが うまれました。 すると、もりには うつくしい はなの さく きや くさが あらわれました。 きょうりょうが いなく なった あとには、 おおきな からだの けものが どんどん ふえて いきました。 いろいろ あらわれた けものの なかに、きりんの せんぞが いました。 もりの おく ふかくで、 やわらかな はを たべて いました。 くびは ながくは ありませんが、 つのは はえて いました。 この けものたちの なかに うまの せんぞも いました。 でも、いまの うまとは すがたが ぜんぜん ちがって いて、おおきさは いまの いぬの てりあぐらいでした。 もりの ふかくに すんで、やわらかい きの はを たべて いました。あしの ゆびは まえが よんほん、うしろが さんぼん ありました。 もりの おく ふかくの ぬまには、いまの ぶたぐらいの おおきさの けものが すんで いました。 みずべの くさを、はなさきで つまんで たべて いました。 あつく なると みずに はいって くらしました。 これが ぞうの せんぞです。 もりの なかには おそろしい けものも いました。 そこで、きの うえで くらしはじめた けものが あらわれました。 おそろしい けものも、きの うえまでは おいかけて こないし、きの うえには だいすきな おいしい こんちゅうが いましたから、いちにちじゅう きから おりないで すごしました。 この けものが、いまの さるや にんげんの せんぞだったのです。 きの えだを つかむ ために ゆびを きように うごかし、えだから えだへ とぶときに まえが よく みえるように、めが まえに ならびました。 さむさは ますます ひどく なって きました。 やがて、ふった ゆきは こおって、その こおりが かわのように ながれ、ちきゅうを おおいはじめました。 この こおりの ながれが ひょうがです。 ひょうがは じゃんぐるを きたから のみこんで いきました。 ちきゅうは また あつく なってきて、ひょうがは きたの ほうにだけ のこりました。 このようなことが なんかいも くりかえされて、 ひょうがが もりを おしながした あとに、ひろい ひろい そうげんが うまれたのです。 はんたいに、けものの すんで いた もりは みなみの ほうへ おいやられて せまく なりました。 せまく なった もりでは、たいへんな ことが おこりつつありました。 いままで、ひくい ところに ある やわらかい きの はを たべて いた きりんの せんぞに、たべる ものが なくなってしまったのです。 ひくい ところの はを、みんなで たべてしまったからです。 すると、こどもたちの なかに、ほかの こどもより くびの ながい ものが あらわれました。 いっぴきだけでは なく、ほうぼうに うまれて いました。 くびが ながいので、たかい ところの きの はを おもうぞんぶん たべて、 いきのびました。 くびの ながく なった きりんの せんぞは、やがて せまい もりを でて、ひろびろとした そうげんで くらし はじめました。 そうげんでは、まばらに はえて いる きの えだに くびを のばして、 おいしい はを すきなだけ たべることが できました。 くびの ながい きりんの せんぞの なかまに、ある とき くびが もっと ながい、からだの おおきな こどもが うまれました。 その こどもは、おとなに なると、おそろしい らいおんを おいだしたり、けとばしたりして、まだ からだの ちいさい きりんを まもりました。 おおきな からだの ほうが、ちいさな からだよりも、いきて いくのに とても つごうが よかったのです。 やがて、つぎつぎに うまれる こどもは おおきな きりん ばかりに なりました。 ちいさくて、すばしこい うまの せんぞも、もりから そうげんへ でて きました。 てきが くると、はしって にげました。 そして、より はやく はしれる うまが いきのこり、 からだも はしるのに つごうよく なっていきました。 また、からだも すこし おおきく なりました。 きりんのように くびが ながく ない うまの せんぞは、 ひくい きが ない そうげんで、じめんに はえて いる かたい くさを たべるように なりました。 そうげんを はしって くらして いるうちに、 うまも おおきく たくましく なりました。 さんぼんの ゆびは、りょうがわの ゆびが ちいさく なり、 じめんを けるのに いちばん つかう なかゆびだけが かたい ひづめに なりました。 くびは すこし ながく なって、つりあいがとれて はしりやすく なり、また とおくの てきも みつけやすく なりました。 ぞうの せんぞも もりから そうげんに でて きました。 そうげんは てきが おおいので、 からだの おおきい なかまが いきのこっていきました。 からだが おおきくて おもいために、 はしって にげられないので、 きばが ぶきでした。 また、ぞうは からだが おおきいので、いつも たべて いないと おなかが すきます。 そこで、はなが のびて、 からだを うごかさずに まわりの くさや きの はを たべられるように なったのです。 おおきな きばを もった ぞうも あらわれました。 ひょうがが おしよせたころの まんもすぞうです。 まんもすぞうは さむい ところですが ゆきの あまり ふらない ばしょに くらして いました。 しかし ちきゅうが ひえて ゆきが ふかく なって うごけなく なり、しにたえて しまいました。 そうげんに でて きた けものの なかに、きから おりた さるの なかまも いました。 にくを ひろって たべて いるうちに、きの えだや ほねの かけらを ぶきにして ちいさな けものを とるように なりました。 いまは ひょうがが きたに ある あたたかい じだいです。 こうして、いまの きりんが そうげんに くらして いるのです。 からだは ますます おおきく なって、 せの たかさは ちょうど きと おなじくらいで べんりです。 せが たかいので とおくの てきも すぐ みつけられます。 からだの もようは ゆうやみの なかで ぼうっとして らいおんの めを ごまかします。 いま いる ぞうは、 あふりかの そうげんに いる あふりかぞうと、あじあに いる いんどぞうです。 からだを あまり うごかさずに、ながい はなを のばして まわりの きや くさを とって たべて います。 うまは せかいじゅうの そうげんに ひろがって、 なかまが たくさん あらわれました。 しまうまは あふりかの そうげんにしか いません。 しまうまの しまは、かざりでは ありません。 らいおんが えものを ねらいに でて くる ゆうがたには、 この しまの おかげで、ゆうやみに とけこんで てきの めから のがれます。 そうげんで くらす さるは、やがて にんげんに なりました。 でも、もりから でなかった さるは むかしの ままの すがたで くらして います。 るいじんえんである ごりらや ちんぱんじーは、いまも もりの おく ふかくで くらして いて、そうげんに でて こようと しなかった なかまです。 ここに あるのは、どれも きや くさの みです。 この なかで くだものは どれでしょう。 くだものと いうのは、きに なる みの ことです。 くだものは いろも きれいですし、 いい かおりも します。 そして、とても おいしい ものです。 どうしてでしょう。 りんごの はなには みつばちが さかんに とんできます。 みつばちは あまい みつを もらう かわりに、かふんを めしべに つけて あげます。 めしべに かふんが つきますと、 やがて はなびらが おちた あとに、 あおくて まるい ちいさな くだものが できます。 その なかには たねが はいって います。たねは みが おおきく なるにしたがって、くろく おおきく なります。 やがて、なかの たねが すっかり おおきく なりきると、まわりの みも あまく、いろも おいしそうに かがやきます。 くだものの みは なかの たねを まもって いるのです。 でも、たねは しそんを ふやすために そとへ でて いかなければ なりません。 くだものの たねは どうやって そとへ でてくるのでしょう。 みの おく ふかくに ある くだものの たねは じぶんで そとへは でられません。 でも、あまい みに つつまれて いるので こまることは ありません。 なぜなら、その みを、つばさや あしを もった どうぶつが たべて、うごきまわり、 ほうぼうに たねを まきちらして くれるからです。 かきの みを たべた むくどりは、 ふんの なかに たねを いれて とおくで おとします。 かきの たねは そこで めを だすのです。 ふかい やまおくでは やまぶどうが おいしそうに みのります。 この やまぶどうを たべに くまや りすが やってきます。 やまぶどうの たねは くまや りすの おなかに はいり、やがて、ふんと いっしょに とおくへ ばらまかれるのです。 かたい くりや どんくりの みには りすが やってきます。 じょうぶな はで かたい みを こりこり たべます。 たべる ときに こぼしたり、はこぶ とちゅうで おとしたりした きのみが めを だすのです。 おおむかしの くだものは いまほど あまく ありませんでした。 それでも くだものは おおむかしの にんげんに とって たいせつな しょくりょうでした。 おとこは そとで けものを おいかけ、 くだものを とるのは おんなの しごとでした。 にんげんや ほかの どうぶつは、 すこしでも あまい くだものを えらんで たべました。 ですから、あまくない くだものは たねを はこんで もらえず、 ながい としつきの あいだに しにたえて いきました。 あぶらなの はなに もんしろちょうが きて、 さかんに みつを すって います。 ちょうの からだには ほかの あぶらなの かふんが ついて いて、それが めしべに つくと、やがて あぶらなの みが できるのです。 くさや きは みな みを つくって、そこに じぶんの いのちを ためて、できるだけ ひろく、とおくへ、じぶんの なかまや しそんを ふやそうと します。 きに なる くだものと ちがって、あぶらなの みは たねが すっかり おおきく なると、かれた めだたない いろに なります。 たべても おいしく ない みですが、なかには くろい、かたい たねが きちんと ならんで いるのです。 この たねは あぶらなの いのちの かたまりで、 これを まもって いるのが みです。 たべて おいしく ない みも、なんとかして じめんに たねを まかなければ なりません。 そこで、ほうせんかのような みが あらわれました。 たねが すっかり おおきく、かたく なると みが かれて さけます。 その ひょうしに、たねを できるだけ とおくへ とばすのです。 もみじの たねも たべられません。 もみじの たねには はねが ついて いて、あきに たねが おおきく なると かぜに のって くるくる まいながら とおくへ はこばれて めを だします。 やしの みは うみべに おちると、 なみに はこばれて ほかの しまの はまべに ながれつき、そこで めを だします。 いのこずちの みは はりが ついて いて、 すぐ なにかに くっつきます。 この くさの みは、この はりで にんげんや どうぶつに くっついて、とおくへ はこばれて めを だすのです。 くさや きの みは、じぶんの なかまを ふやそうと いっしょうけんめいです。 おおむかしの くだものは いまの くだものより とても ちいさく、あまさも ずっと すくなかったのです。 いまの くだものが おおきいのは、ながい あいだに、すこしでも どうぶつを ひきつけようと あまく なったり、ひとが つくりかえて きたからです。 ある ひ、にんげんは あまい くだものの たねを すてないで うえてみました。 すると、ひとつぶの たねが めを だして、 なんじゅうねんか たつうちに、まいとし たくさんの あまい くだものが とれるように なりました。 にんげんは もっと あまい おおきな みが ほしく なり、いろいろ かんがえました。 そして、ちいさいけれど とても あまい みの なる きの かふんを、おおきな みの なる きの はなの めしべに つけました。 すると、とうとう あまくて おおきな みの なる きが そだったのです。 すこしでも おいしく たべられるようにと にんげんが つくりかえたのは、きの みで ある くだものだけでは ありません。 くさの みも おいしく つくりかえました。 いちごは、もとは ちいさな のいちごでした。 にんげんは この のいちごを いまの ような おおきな いちごに つくりかえて きたのです。 いちごの みは、ほかの くだものの みと ちがって、たねが そとに でて います。 そして たべられる たねです。 とうもろこしは もとは すこししか みを つけませんでした。 それを、ながい あいだに つくりかえて、 じゅうばいも みを つける とうもろこしに つくりかえました。 あまく なくても おいしいので、 にんげんの てで つくりかえてきたのが やさいです。 きゅうりは もとは ちいさな うりでしたが、いまは こうして りっぱに おおきく なって います。 こうして、いま くだものやに みられる いろいろな くだものが つくられたのです。 そして、くだものを つくる はたけも ひろく なり、ひとつの やまが ぜんぶ みかんの はたけに なって いる ところも あります。 たくさんの ひとが まいにち せわを して、 たいせつに そだてて います。 とかげと へびの せんぞは、さかなでした。 おおむかし、みずの なかで くらして いた さかなの ある なかまが、3おくねんぐらい まえに、はじめて りくの うえに でて きました。 みずたまりから みずたまりへ うつるためです。 やがて、りくの うえに なれた さかなの なかに、かわった すがたの なかまが あらわれました。 ひれは なくなって、あしの かたちに なり、 ゆびが できました。 りくの うえと、みずの なかとを、はんぶん ずつで くらすように なりました。 いまの かえるや いもりの せんぞです。 やがて、この なかまは、ほとんど りくの うえだけで くらすように なり、たまごも みずの なかでは なく、 りくの うえで うむように なりました。 たまごは、なかの みずが ながれでないように、うすい まくと からで つつまれて います。 これが、いまの とかげの せんぞなのです。 とかげの あかちゃんが うまれる ところです。 たまごの からの おかげで、みずの なかでは なく、おやと おなじ りくの うえで うまれることが できました。 たまごに からが ついて いるので、 あかちゃんは ぶじに うまれ、とかげの なかまは どんどん ふえました。 おおきな きょうりゅうも いましたが、 その かたすみで いまの とかげや かめや わにの せんぞが くらして いたのです。 ふぃりぴんの こもどと いう しまに いる こもどおおとかげは おおきな とかげです。 ちいさな けものを つかまえて、へびのように まるのみに します。 へびの せんぞに ちかい なかまであったと かんがえられて います。 いぐあなは、みなみの くにで きに のぼり こんちゅうを たべて くらして いる とかげです。 おおむかしは、からだも おおきく いばって あるきまわって いた なかまの いきのこりです。 おおむかしの せんぞに にて いて、 こうらを もって いるのが かめです。 てきに おそわれたり すると、あたまと てあしを こうらの なかに ひっこめて みを まもります。 こうらは ひふが かたく かたまった ものです。 かめの なかには、みずの なかに もどって くらす なかまも あらわれました。 うみがめが そうです。 あしが ひれのように かわって、 すいすい およぎます。 でも、たまごは、ほかの かめや とかげの なかまと おなじように、 りくに あがって うみます。 わには おおむかしの すがたを、ほとんど そのまま いまに のこして いる とかげの なかまです。 きょうりゅうじだいの いきのこりですから、むかしと おなじように おおきな からだをして います。 みずの なかで えものを とるので、みずの なかで うごきやすい からだをして います。 りくの うえでは のそのそと あるく わにも、 みずに はいれば さかなのようです。 わにの せんぞは、もともと みずの なかで くらして いたのですから、わにが じょうずに およげるのも あたりまえかも しれません。 きょうりゅうが たくさん あるきまわって いたころ、あしの みじかい とかげが あらわれました。 あしの みじかい とかげは せまい ところでも はいって いって、たべものを とることが できました。 これが へびの せんぞと かんがえられて います。 あしが みじかくて、からだが ながいと、 てきから みを かくすにも べんりでした。 なかまの とかげが おおきな きょうりゅうに つかまっても、 あしの みじかい へびの せんぞは、いわかげに もぐりこんで、 てきに みつからずに いきのびることが できました。 あしが ないほうが くらしやすいために、 からだも そのように かわり、 あしが ちいさく なって いきました。 こうして いま みられる へびが あらわれたのです。 てと あしは まったく なくなって、 からだは ますます ながく なって います。 ほかの どうぶつが はいりこめない ちいさな あなや せまい ばしょにも はいりこんで、えものを とることが できるのです。 へびは、てと あしが なくて、ほそながい からだをして いるので、たべものの とりかたも とても かわって います。 つかまえた えものは、かまないで まるのみに します。 じぶんの あたまより なんばいも おおきな えものでも のみこめるように、くちには とくべつな しくみが あります。 へびには、どくを もった なかまも います。 じぶんより つよくて、おおきな えものを とるときのために、 どくを もって いて、その どくで えものを しびれさせて のみこむのです。 へびが たべる どうぶつは、よく うごいて のみにくいので、ながい からだを まきつけて しめつけ、 ちっそく させてから しずかに のみこみます。 へびには ても あしも ないので、たべものを とるにも、こうした くふうを して いきて いるのです。 へびに てと あしが なくて、からだが ほそながい わけが わかったでしょう。 この からだの おかげで、いままで いきのこって きたのです。 それに ほとんどの へびは、おとなしくて、 やさしい どうぶつです。 にしきへびのように、たまごを うんでも こうして あたためる へびも います。 しまへびは とても ひとに なつきます。 かわいがって そだてると、いうことも ききわけるし、ねこのように あまえたりも します。 からだつきが かわって いたために、へびほど まちがって きらわれて きた どうぶつは いないのです。 にゅーじーらんどだけ にしか いない むかしとかげは、とかげや へびの せんぞと おなじころに、いまと まったく おなじ すがたで くらして いた めずらしい とかげです。 ひゃくねんいじょうも いきつづけます。かばは おおきな おおきな けものです。 かおも おおきいし、どうも ふといです。 へんな かっこうですね。 おかしな かおですね。 でも、かばは あふりかでは たいせつな どうぶつなのです。 あつい あふりかに すんで いる かばは、 ほとんど いちにちじゅう かわや いけの なかに はいって います。 なかまと いっしょに、みずの なかで じっとして すごします。 みずの なかは、つめたくて きもちが いいし、 おおきくて おもい からだは、みずの なかのほうが うごきやすいのです。 りくの うえでは とても おもい かばの からだも、 みずの なかでは らくらくと うきます。 ですから、かばは なにをするにも みずの なかのほうが べんりです。 そこで、あかちゃんに おっぱいを のませるのも みずの なかです。 よる、りくの うえで くさを たべた かばは、 あさに なると みずに もどって およぎながら ふんを します。 ふんは みずの なかに とびちり、それが さかなたちの たいせつな たべものに なります。 そして、さかなたちは とりの、とりは わにの たべものになって いるのです。 かばは かわの みずくさも たべます。 あふりかの かわには、いつも みずくさが しげっています。 かばは おおきな からだで、 ゆうゆうと みずくさを わけいったり、 とんねるを つくったりして すすみます。 かばの あるいた あとから みずが どっと ながれこみます。 かんこうきゃくや かめらまんが かばを みに、 たくさん やってきます。 じどうしゃの おとや はなしごえで、かばは ゆっくり ねむることも できません。 そこで かばは なかまたちと どこかへ いってしまいました。 どこかへ いってしまった かばは ながいこと かえって きません。 もう、うるさい にんげんに あいたく なくなったのかも しれません。 たいようが じりじりと てりつけて いる あふりかでは、かわの みずくさが どんどん しげります。 みずくさは たちまち にじゅう、さんじゅうに しげって、 かわの みずは みえなく なってしまいました。 やがて、あつい かんかんでりが おわると、 あふりかでは うきに なります。 くる ひも くる ひも あめが ふって、 とうとう、 かばが いた かわの みずは あふれだして、 こうずいに なってしまいました。 みずの とおりみちを つくってくれて いた かばが いなくなったので、みずくさが、かわを とおせんぼしたのです。 うるさい にんげんから にげて いった かばたちは、あたらしい ばしょで、やはり みずくさの なかを およいで くらして います。 かばの いる ところは いつも へいわです。 かばの おかげで こうずいが ないから ほかの どうぶつたちも あんしんして くらして います。 こりんうずらは あめりかに すむ うずらの なかまです。 からだは きれいな いろをして います。 いつも くさはらに じゅうにわぐらいの なかまと いっしょに くらして います。 さむい ふゆの あいだ、こりんうずらは なかまどうし からだを よせあって、 あたためあいながら ねむります。 これなら ゆきが ふっても、 かぜが ふいても さむく ありません。 りょうがわから なかまが あたためて くれるからです。 ある ひ、はんたーが やってきて、てっぽうで はちわの こりんうずらを うちころして しまいました。 きつねや たぬきが きても、こりんうずらは こわくありません。 なぜなら、ほうぼうに とびちる うずらたちを みて、 きつねが びっくりして いる あいだに、 にげることが できるからです。 でも、てっぽうを もった はんたーでは、 そうは いきません。 いきのこった しわの こりんうずらは もう いきて いけません。 なぜなら、そとがわの にわが さむさで こごえて しんでしまうでしょう。 すると、のこった にわでは、もう、 さむくて いきて いけないからです。 ほかの どうぶつと くらべて、 らくだの かたちは かわって います。 くびが ながく、せなかには こぶが あります。 この らくだは、さばくの ちほうで とても たいせつな やくわりを はたして います。 さばくを あるいて いくと、 にんげんは まず みずを のみます。 あせが でて、すぐ みずが ほしくなるからです。 でも、らくだは すこしも みずを ほしがりません。 なんにちも あるいて、にんげんは みずを きらして、もう しにそうです。 でも、らくだは まだ みずを のみたがりません。 しかし、すこし やせてきました。 らくだが みずを のまないで へいきなのは、せなかの こぶのためです。 こぶは あぶらの かたまりで、 これを みずに かえて つかって いるからです。 ある やまで、かしの もりが きりとられて、 かしの きが いっぽんだけ のこって います。 みたところ しずかな いっぽんの きですが、 よく みると、とりが たくさん あつまって います。 はや みきに むしが いるので、 それを たべに くるのです。 かしの ねもとは はが かげを つくって いるので、 いつも じとじとと しめって いて、 みみずの すみかです。 その みみずを おって、もぐらや とかげ、 さらに、ねずみや へびも やってきて、 かしの きの ねもとは、 どうぶつたちで にぎやかです。 あつまって きた みみずや もぐらは、つちを ほじくり かえすので、かしの きの ねもとは、 とても やわらかくて いい つちです。 ですから、かぜに はこばれて きた たねは、 すぐに めを だして、ひかげの すきな はなたちが さきみだれます。 いっぽんだけ のこっていた かしの きに、 きこりが やってきました。 そして、さいごの かしの きを ねもとから きって、 もって いってしまったのです。 とうとう かしの きは いっぽんも のこらずに きりたおされ、 はげやまに なってしまいました。 いままで いた どうぶつたちは、 みんな ほかの もりへ いってしまいました。 にぎやかな ほかの もりと くらべると、 とても さびしい やまに なりました。 あとは、くさだけが のびます。 ひなたに さく はなが すこしだけ さいても、とりの さえずりも、 けものの うごく けはいも ない さびしい やまです。 でも、いつか きっと、また ここに もりが うまれるでしょう。くさはらや はやしは どうぶつの すみかです。 どうぶつは くさの はを たべたり、 くさの しるを のんだり、 きの かわを たべたりして くらして います。 くさの あいだを わけて、よく みると ちいさな とのさまばったが くさを たべて います。 つよい がんじょうな あごで、かたい くさの はを、 もりもり たべます。 くさが ないと、いきていけない どうぶつです。 そこへ、とつぜん かまきりが きて、 とのさまばったは あっと いう まに つかまってしまいました。 かまきりは ほかの こんちゅうを つかまえて、 その からだを たべてしまう こんちゅうです。 ばったを たべる かまきりも、やがては、 とりに みつかって たべられてしまいます。 もずは くさの あいだを しずかに とびまわって、 たちまち かまきりを みつけました。 もずは ほかの いきものの にくを たべる とりです。 その もずも、まごまごしていると、おともなく やってきた あおだいしょうに つかまってしまいます。 へびは とりや、とりぐらいの おおきさの どうぶつを たべて くらす どうぶつなのです。 あぶらむしは ちいさな ちいさな こんちゅうです。 むれを つくって、なのはなの みきに しがみついて しるを すって います。 あぶらむしは、とのさまばったと おなじように、 くさや きを たべる こんちゅうの なかまです。 その あぶらむしを つかまえて たべるのが てんとうむしです。 いま、ななほしてんとうと なみてんとうが やってきて、 くさに ついた あぶらむしを たべてしまいました。 てんとうむしも ほかの こんちゅうを たべる こんちゅうです。 てんとうむしも とんでいるうちに くもの すに かかってしまいました。 すこしの うごきでも みのがさない くもは、 すぐに やってきます。 くもは てんとうむしを たべはじめます。 その くもも、かえるに かないません。 とのさまがえるが くもを みつけると、 ぴょんと とびついて、ぱくりと のみこんでしまいます。 くさはらには しまへびが います。 しまへびは かえるが だいすきです。 ふだんは ちいさな くちに みえても、 たべる ときには おおきく のびて、 あいてを のみこんでしまうのが へびの くちです。 とりを たべる あおだいしょうや、 かえるを のみこむ しまへびは、 いちばん つよいように みえます。 でも、もっと つよいのが いるのです。 ちいさな いたちが へびよりも すばやく へびに とびついて いきます。 あわてて いたちを まきつけようとしても もう まにあいません。 へびは いたちに たべられてしまうのです。 たべたり たべられたり するのは、こんちゅうのような ちいさな どうぶつだけでは ありません。 やまの すぎばやしの わかぎの ねっこを たべるのは、のねずみです。 のねずみは きが ないと いきられません。 たべたり たべられたりは、ひるまだけでは ありません。 つきの あかりの したで、おおきな めを かがやかせて、 えものを さがして いた ふくろうが、 のねずみを みつけて とびかかりました。 のうさぎは おとなしい どうぶつです。 のねずみと おなじように きの かわをたべて います。 つまり、しょくぶつを たべて くらしている けものです。 のうさぎが いちもくさんに にげています。 おって くるのは きつねです。 うさぎのような けものも、 もっと おおきな てきに たべられてしまうのです。 ふくろうや きつねや いたちには、てきが いないように みえます。 でも まだ、これらを たべる てきが います。 おおきな おおきな とり、にくを たべる とり、それは わしです。 いぬわし、おおわしの まえには、きつねも かないません。 わしに かなう どうぶつは いないようです。 でも、ひとの めに みえない ちいさな ちいさな いきものに、 わしは ころされてしまいます。 わしの からだに しのびこむ ちいさな いきものは、 たくさんの なかまで わしを ころしてしまうのです。 この いきものは、ばいきんです。 わしが しぬと やってくるのが しでむしです。 たくさんの なかまで やってきて、 にくを たべてしまうので、 わしは ほねだけに なってしまいます。 わしが しんで、なんかげつか たつと、 はねしか のこりません。 それは、ばくてりあと いう ちいさな いきものが、 くさった ほねまで つぶにして じめんの なかに はこんで しまうからです。 ばくてりあは、ばいきんと おなじ なかまです。 ばくてりあの はたらきで わしの からだは めに みえない つぶに なって じめんの なかに すいとられます。 つまり、わしは しんで、じめんの なかに すがたを かえて はいってしまったのです。 つちの なかの みずに とけたり、 ちいさな いしの あいだに はさまって、 わしの からだは ばらばらに なりました。 しかし それは、やがて、その つちに はえている くさの ねから すいこまれて、くさの なかに はいって いきます。 くさは ぐんぐんと げんき よく のびます。 わしは しんで えいように なって、 くさを そだてはじめたのです。 くさが わしを たべはじめたとも いえるでしょう。 その くさに とのさまばったが くると、 はじめの ぺーじに もどります。 たべたり たべられたりの しくみは ひとつの わのように、くりかえします。 しょくぶつは、じめんから すいこんだ みずと えいようを はに はこんで、たべものを つくります。 どうぶつは、この しょくぶつが つくる えいようを たべるために やってくるのです。 すぎの なかまの せこいあと いう きは、 とても おおきく そだちます。 きたあめりかに ある せこいあは、 ちきゅうの うえで いちばん おおきな いきもので、 さんぜんごひゃくねんも いきつづけて います。 ちきゅうで いちばん おおきな いきものである せこいあの きも、もともとは こんな ちいさな たねから そだった ものです。 たねから めを だした きや くさは、まわりながら くらしやすい ばしょだと、とても ながく いきつづけることが できるのです。 たねには なかまを ふやすと いう、とても たいせつな やくめが あります。 たねは、ふつう とても ちいさな からだをして います。 どんなに おおきな きも、ちいさな たねに いのちを あづけて、しそんを ふやすのです。 たねは、じぶんが そだつのに ちょうど よい みずに であうまでは、めを ださずに ねむって いるのです。 だいずの たねが、つちの なかで ねを だしはじめて います。 たねは、すこしの みずと、あたたかさと、 くうきが あれば、じぶんで いきはじめます。 つまり、めを さましたら、じぶんの ちからで おおきく のびようとします。 にんげんの あかちゃんとずいぶん ちがいます。 どうして みずが あると じぶんで いきられるのでしょう。 たねが ねを だし、つぎに めを だして そだっていくのは、 たねが じぶんの なかに にんげんの おちちに あたる ものを もって いるからです。 はいにゅうと いう ところは、 たねが みずに であうと すばらしい えいように かわって、 たねが じぶんで ひかりと みずを とって いきていけるように なるまでの、 つよい えねるぎーに なります。 にまいの めを だす たねが あります。 あさがおの たねが そうです。 あさがおは、まねの たねとおなじ しくみで、 めに えいようが あります。 はが あみのように なって いる きや くさは、ほとんどが このような めの でかたを します。 いちまいの めを だす たねが あります。 はに すじが とおって いる、いねや むぎなどです。 このような たねは、めや ねとは べつに えいようが あるので、えいようを つかい ながら めや ねが のびていきます。 じぶんで たいようの ひかりを あびるように なると、たねの かわだけが のこります。 まつは たくさんの めを だします。 でも、これは ほんとうの はでは ありません。 おとなが もつような ほんとうの はは、さいしょの めの あいだから でてきます。 となりどうしが くっつきすぎたまま めを だすと、おおきく なっても ひょろひょろと やせて そだちます。 ひめじょおんの くさも このとおり、ひょろひょろで、 げんきが ありません。 おなじ ひめじょおんも、めのときに はなれて そだつと、こんなに がっかりした じょうぶな おとなに なります。 これは、じめんの なかの みずや えいようが ひつようなだけ じぶんの めで すいとれるからです。 あまり くっつきすぎると、ひつようなだけ とれないので、 おたがいに よわってしまうのです。 どの くさも きも、たねを とても たくさん つくります。 なんまいという たねを つくる くさも あります。 くさや きは じぶんの なかまを できるだけ とおくへ ふやそうと します。 だから、たねを できるだけ たくさん つくって、いろいろな ほうほうで まきちらすのです。 てっぽううりは じゅくすと くきから はなれて じめんに ころがり、たねを にめーとるも とばします。 これも、できるだけ とおくへ、ひろく じぶんの なかまを ふやそうとするからです。 くさはらや のやまを あるいて かえってくると、ずぼんに たねが たくさん くっついて いる ことが ありますね。 これも、たねが できるだけ とおくへ いきたいと いう しるしです。 ものに くっつく たねには、くっつくための かぎや べとべとした ものが ついているのです。 みなとには がいこくから はこばれたり、 これから つみだされたりする にもつが たくさん おいて あります。 この にもつを よく みると、ちいさな たねが くっついて います。 このような たねの くさは、うみを わたって なかまを ふやします。 うみを わたって きた たねは みなとの まわりに めを だします。 このような たねは 、とても じょうぶで あたらしい とちでも みずと ひかりが あれば、ぐんぐん おおきく そだち、たちまち あたらしい くにに ひろがっていくのです。 ちか ごめーとるの おおむかしの くらしの あとで、 ある かがくしゃが まるきぶねの なかに はすの くろい たねを みっつ みつけました。 それは、にせんねんも むかしの たねでした。 なにしろ にせんねんも まえの たねですから、もう、 めを ださないだろうと おもわれました。 はすの たねの かわは とても あつく、 かたくて みずを なかなか とおしません。 だから、くさって やわらかく ならないと、 めを だすことが できないのです。 そこで、かがくしゃは はいにゅうに みずを あげようと、はさみで かどを すこし きって、そのまま うえてみました。 すると、にしゅうかんめに みごとに めを だして、やがて、すばらしい はなを さかせたのです。 たねは とおくへ いくだけでは だめです。 もし、そこが そだつのに つごうが よくないと めを だしても かれてしまいます。 たねには ひなたが すきな ものと、ひかげが すきな ものが あります。 めを だすのに つごうの よい ばしょで ないと たねは しにます。 ですから、いきのこる たねは とても わずかです。 きけんが いっぱいだから、たねは たくさん つくられるのです。 ながい あいだに きや くさが もった、いきのびる ほうほうです。 そだつのに つごうの よい ところに ついた たねは、めを だして そだちます。 そして、やがて うつくしい はなを つけるでしょう。 むらさきいろの すみれも、やっと たどりついた ところに はなを さかせたのです。 やがてはなは しぼんで、あとに こんなに たくさんの たねが つくられました。 ひとつの たねが うまく めを だすと、 なんじゅうばいの たねを つくることに なるのです。 そして、また、その たねの ひとつ ひとつが、めを だすのに つごうの よい ところへと たびを することでしょう。 そののち、いくつが はなを さかせ、 たねを つくることが できるのでしょう。 むかし むかしの ことです。 いえや おはかを つくるために、 きや いしは やまから はこび だされました。 しかし、はこぶ どうぐが ないので、 それは たいへんな おおしごとでした。 ひとびとは きや いしを はこびながら なにか よい ほうほうは ないかと いろいろ くふうを こらしました。 かわに うかべて はこんだり、 そりのように くさや すなの うえを すべらせたりしました。 まるたが ごろごろと ころがって いくのを みたり、まるたの うえに のって ひっくりかえったりしているうちに、おもしろい ことを かんがえた ひとが いました。 おもい ものを まるたの うえで うごかすと らくだと いうことです。 それなら つぎつぎと まるたを ならべていったら ころの はつめいは、くるまへ おおきく ちかづきました。 まるたは ごろごろ ころがって おもい ものを らくに はこんで くれました。 しかし、はこんで いるうちに まるたは りょうがわを のこして、ものの おもさが かかる まんなかだけが すりへって いったのです。 すりへった まるたを みながら、もっと べんりな ものを かんがえた ひとが いました。 まるたに そりを くっつけたのです。 おもい にもつを のせた いたを ひくと、いたの したで まるたが ごろごろ まわって、ころを ひとつ ひとつ うごかさなくても、らくに はこぶことが できるように なりました。 まるたの ついた そりで ふべんだったのは、まるたの かいてんが そりに じかに つたわったことです。 そこで、まんなかの ぶぶんを べつの ぼうに かえた くるまが あらわれたのです。 すりへった まるたと にた かたちですが、くるまだけが まわるので とても ぐあいが よくなりました。 ろばや うしに ひかれた くるまが みられるように なりました。 みちとは よべないような わるい みちを どうぶつに ひかれて たびを した むかしの のりものは、みんな おおきな くるまを もって いました。 ちいさな くるまだと すぐ すりへって うごかなく なってしまうからです。 すりへらない しゃりん、おもく ない くるま、これが おおきな くるまの ついた のりもので ものを はこんで いた ひとびとの ねがいでした。 こうして しゃりんが なんまいかの いたの くみあわせに かわっていったのです。 あしが はやくて ちからの ある うまが ひとに つかわれるように なったのは、いまから やく よんせんねんまえの ことです。 くるまも うまの はやさに あうように だんだん かえられて いきました。 いまから さんぜんごひゃくねんまえごろ、あたらしい くにづくりが いろいろな ところで はじまりました。 そのため たたかいが ほうぼうで おこり、このとき せんじょうを かけまわったのが、にりんばしゃでした。 くるまは みちが よくないと はやく はしれませんし、おもい にもつを はこべません。 また、くるまが たくさん とおると みちは こわれます。 みちが よくなるに したがって、くるまも よくなっていきました。 えきばしゃは ひとびとの りょこうを たいへん らくにしてくれました。 さいしょの ころは まどの ついた はこを のせただけでしたが、だんだん ばねの ついた くるまになって、どうろの おうさまになりました。 くるまの みちとして いちばん じょうぶなのは せんろでした。 せんろの うえを ばしゃが はしっている うちに、じょうききかんが はつめいされて うまの いらない ばしゃが はしるように なりました。 うまや じょうきに くらべると ひとの ちからは ちいさいのですが、その ひとの ちからだけで、くるまを はやく はしらせることが できるようになりました。 たいやや、はぐるまの しくみを かんがえた おかげです。 これは にひゃくねんまえに ふらんすで つくられた じょうきじどうしゃです。 まえに つけられた かまから じょうきが おくられて ぴすとんを あげたり さげたりして まえの くるまを まわします。 きまった せんろの うえでなく、 すきな ときに すきな ところへ ものを はこんだり、はやく いけたりするのは じどうしゃです。 じどうしゃは がそりんきかんの はつめいで とても べんりに なりました。 でんきの はつめいは のりものの すがたを おおきく かえました。 たくさんの ひとを いちどに はこべるように なったのです。 ひとの せいかつには いろいろな ことが あります。 とおくへ いかなくても、ゆっくりしか はしらなくても、やくにたつ のりものは ひつようです。 おおむかしの たたかいから、くるまは はやく はしれるように かんがえられてきました。 げんざいでは いちじかんに にひゃくきろも はしるように なったのです。 のりものは どんどん おおきく なって、あらゆる ものを いろいろな ほうほうで はこびます。 そのためには、みちも はしも、 そして とんねるなども じょうぶに つくられるように なったのです。 くるまの しくみは、いろいろな きかいを はってんさせました。 とけいには たくさんの くるまが つかわれて います。 はぐるまと よばれる ぎざぎざの くるまです。 でんきが ないころから はたらいていた うごかない くるまに、すいしゃと ふうしゃが あります。 かわの みずや かぜの ちからで くるまを まわして、こなを ひいたのです。 また、たかい ばしょに ある はたけに みずを おくる しごともしました。 この おじさんは なにをして いるのでしょう。 ろくろと いう くるまを まわして ちゃわんを つくって いるのです。 ちいさな しゃべるで、ぼうやが すなを ほって います。 しゃべるは ほるのに なくてはならない だいじな どうぐです。 その しゃべるも かたい じめんを おおきく ほる ときには、 こんな おおきな しゃべるを つかいます。 ばっくほーは きかいの ちからを つかった おおきな どうぐです。 むかし、ひとの せんぞは あつい ところの もりの なかで くらして いました。 そのころは どうぐなど ありません。 きに のぼっては、てを つかって くだものを とって いました。 もりを でて、そうげんで くらすまでは そうげんで、ひとの せんぞは、けものの にくを とって たべるように なりました。 はじめは しんだ けものの にくでしたが、 やがて いきている けものを とるように なりました。 おちている いしや ぼうを つかって、 けものを たおしたのです。 やがて、にんげんは せぼねを まっすぐにして あるくようになると、 ますます りこうに なりました。 にんげんは いしを けずって べんりな ないふを つくりだしたのです。 にんげんが いろいろな ことを すれば するほど、 ひとつの どうぐでは たりませんでした。 つかいみちによって いろいろな どうぐを つくるように なりました。 でも、どれも これも いしを けずった どうぐばかりでした。 だんだん てさきが きように なった にんげんは、 ちいさな どうぐも つくれるように なりました。 けものの ほねや つのを こまかく けずって、 はりや、もりを つくりました。 ひは あたたかくて べんりです。 にんげんにとって なくては ならない ものです。 はじめは やまかじや かざんの ようがんから とって いましたが、 やがて じぶんで つくりだすように なりました。 おおきな けものを あいてにするときは ないふでは まけてしまいます。 はなれた ところから なげつけて あいてを たおす やりが べんりです。 いしで つくった やじりを、 きの えだに むすびつけた やりです。 きかいは どうぐと どうぐを くみあわせた ものです。ですから、ゆみと やは さいしょの きかいです。 すばやい えものや、とおくに いる えものは、 ゆみやで とりました。 にんげんは、けものを おって くらす せいかつから、 ひとところに すみついて こくもつを そだてて くらすように なりました。 そのため、つちを ほったり、たがやしたりする どうぐや、 みのった こくもつを かりとる どうぐが くふうされました。 ひを つかう かまどの まわりの つちが かたく なるのに きがついた にんげんは、 やがて つちを うつわの かたちに つくって ひで やき、どきを つくりました。 どきは かりいれた こくもつを しまっておくのに べんりでした。 ひとところで とれた こくもつは、ほかの ところで とれた ものと こうかんするように なりました。 きを きりぬいて つくった まるきぶねは、 その こうかんに とても べんりな どうぐでした。 どうぐに するような かたい いしが みつけにくく なったころ、 にんげんは どうを みつけました。 どうは ねつを くわえると やわらかく なりましたので、 とても するどい ないふを つくることも できました。 どうは にんげんの くらしを かえました。 どうの ぶきを つかって、ちからの つよい ものが よわいものを したがえるように なり、 おうや どれいが うまれました。 おうは きゅうでんや はかを つくりましたが、 そのための いしを はこぶのに くるまが つくりだされました。 にんげんが すべての しごとをした じだいから、 どうぶつが にんげんの かわりに はたらく じだいに なりました。 そして このころ、どうよりも もっと つよい てつを みつけたのです。 てつは、どうよりも とかしやすく、しかも つよかったので、 たちまち せかいじゅうで つかわれるように なりました。 うしを つかって てつの すきで とちを たがやすと、 いままでの なんばいもの はたらきが できるように なりました。 てつは くらしを べんりにも してくれましたが、 たたかいに つかわれる ぶきをも しんぽさせました。 これは いしゆみです。 かやくを つかって、ほそい あなから とびだす てつの たまは、 とおく はなれた えものを たおします。 てっぽうは てつが なかったら うまれなかった ぶきです。 ぱんは こくもつの こなで つくります。 こなを つくるには、こくもつを くだかなければなりません。 すいしゃは みずさえ あれば いちにちじゅう うごきます。 かぜの ふく ちほうでは ふうしゃも つかわれました。 みずを ねっすると、おゆになり、やがて じょうきを ふきだします。 その とき、じょうきが すごい ちからを もって いる ことが わかりました。 その じょうきの ちからを りようして ふねや きしゃを うごかしました。 みずの ちからや、ひの ちからで、 はつでんきを まわして でんきを つくります。 でんきは わたしたちの せいかつに なくては ならない ものです。 いねかりきは いままで にんげんが てや いくつかの どうぐを つかって してきた しごとを いちだいで ぜんぶ します。 この きかいは、いろいろな どうぐを くみあわせた ものなのです。 にんげんの めには みえない ものを みたり、 おとよりも はやく とんだり、 ふかい うみの そこへ もぐったり、 うちゅうへ きかいを とばせたり、にんげんの ちからを こえる はたらきが できるように なりました。 くうきの ない ところまでも いける どうぐです。たまごが われて いぬが「こんにちは」して います。 へんですね。へんですね。 いぬが たまごから うまれるの みたこと ありますか。 いぬなどの けものは たまごでは うまれません。 おかあさんの からだから あかちゃんで うまれます。 そして おかあさんの おちちを のんで そだちます。 でも、どうして けものは たまごで うまれないのでしょう。 たまごは ふつう あたたかい ときに うまれます。 でも、きゅうに さむくなる ときも ありますね。 つよい かぜが ふいてきたり、 ものが おちてきたり、 たまごには きけんが いっぱいです。 たまごが てきに はっけんされると どうでしょう。 かならず たべられます。なぜでしょう。 たまごは うごけないからです。 いわしが たまごを うんで います。 なんまんと いう かずの たまごです。 たまごは たべられやすいので、 たくさん うんで ひとつか ふたつでも いきのこれば いいと いわしは おもって います。 いもりは さんしょううおや かえるの しんせきです。 おおむかし、さかなが りくに あがったころの どうぶつの なかまです。 りくの うえで くらしたり、 みずの なかで くらしたりして います。 いもりは たまごを みずくさにつけて うみます。 てきに みつけられることが すくないので、 さかなほど たくさんは うみません。 いもりの なかまが りくに あがったまま、 りくで くらしたのが とかげです。 みずの ない ところで たまごを うみますので、 みずの はいった からが つくように なりました。 これなら てきの こない ばしょに たまごを うむことが できます。 かものはしは けも はえて いますし、 おちちも だしますから けものです。 しかし、とかげに とても よく にて いる けものです。 かものはしは からだの しくみは けものですが、 たまごを うみます。 そこで、けものの せんぞが とかげの なかまから うつりかわる ときの いきのこりの どうぶつだと いわれます。 けものは たまごでは うまれませんけれど、 おかあさんの からだの なかには たまごが あるのです。 たまごを そだてる えいようは おかあさんの からだから もらって います。 おかあさんの からだの なかで そだつのは とても いいです。 からだの なかですから、さむくても あかちゃんは そだちます。 たまごのように ふみつぶされることも ありません。 てきに おそわれても、おかあさんの からだの なかに いますから、 いっしょに にげられます。 らいおんに おそわれた れいようの おかあさんが すごい はやさで にげて います。 らいおんも あきらめるばかりです。 うまが あかちゃんを うんで います。 あかちゃんには しろい まくが ついて いますが、じつは この なかで そだって いたのです。 うまれても しんぱい ない ときまで、 おかあさんの おなかの なかで おおきく なるのです。 あかちゃんが うまれると、おかあさんは したで なめて しろい まくを とって あげます。 けものは ふつう いっぴき うんで、 その いっぴきを たいせつに そだてます。 くさを たべる けものの あかちゃんは うまれると まもなく たちあがって あるきます。 てきが おおいので すぐに にげられるように くふうされて います。 あかちゃんは、じぶんで たべものを とれるように なるまで、 おかあさんの おちちで そだちます。 おちちには おおきく なるのに ひつような えいようが ぜんぶ はいって いますから、 おちちだけで あかちゃんは おおきく なるのです。 どの けものの おやも、 あかちゃんを たいせつに そだてます。 らいおんや とらのように、にくを たべる けものの あかちゃんは、うまれてから そだつのに じかんが かかります。 これは、えものを とるのに、おとうさんや おかあさんから いろいろの ことを まなばなければ いきて いけないので ながい じかんが ひつようなのです。 るいじんえんは ほかの けものよりも ひとに ちかくて、とても りこうです。 かぞくで くらして、いろいろの ことを べんきょう します。 だから、ひとのように おとなに なるのに じかんが かかります。 たって あるいても、ひとは けものです。 やはり、こどもは あかちゃんで うまれます。 おなかの おおきく なった おかあさんを みかける ことが あるでしょう。 うまれた あかちゃんは おかあさんの おちちで そだちます。 おとうさんと おかあさんから いろいろな ことを おしえられますね。 ひとは うまれてから じぶんで くらせるように なるには にじゅうねんも かかります。 いろいろな ことを べんきょうして、 おおきく なるのです。 どうぶつが りくに あがり、ひとが あかちゃんを うむように なるまで かかった ねんすうは さんおく ごせんまんねんです。 かんがるーは あかちゃんが まだ よわい うちに うんでしまいます。 うまれてから おかあさんの おなかの ふくろに いれて おおきくします。 いえは ひとの すむ はこと いえます。 わたしたちの いえには だいどころや いまや ふろばが あり、 とても つかいやすく できて います。 では、むかしから こんなに すみやすい いえで あったのでしょうか。 わたしたちの せんぞの いえは、また、 とおい くにの ひとたちの いえは どんななのか みてみましょう。 ほっきょくの えすきもーじんという ひとびとは こおりの いえで くらして います。 こおりの いえの なかは とても あたたかいし、 こおりは どこにでも あるので、えすきもーの ひとには べんりで たいせつな いえです。 たいようが てりつける さばくの まちは、 どろや つちで つくった いえが あります。 たいようの ひざしは とても つよく、 ものすごい あつさに なりますが、 ひかげに はいると とても すずしいのです。 ですから、つちの いえは ひんやりとして いて、 さばくの くらしに つごう よく できて います。 すかんじなびあはんとうという ところは、 とても もりが おおい ところで、そこでは たくさん ある きを つかって いえを つくります。 こうして その とちに たくさん ある ざいりょうを つかって、いえは つくられて きました。 これは あいるらんどの あらんとうという しまの ひとたちの いえです。 ここには きは あまり なく、いしが とても たくさん とれるので いえも へいも ぜんぶ いしで つくられて います。 かぜが つよい ところなので、いしの いえは とても つごうが よいのです。 いんどねしあには このような みずの うえの いえが たくさん あります。 これは むしあつい ねったいに すむ ひとびとの くらしの ちえなのです。 すずしいし、へびや けものも こないので とても べんりです。 あつい あつい あふりかの そうげんには、 つちと くさしか ざいりょうが ありません。 そこで、うしの ふんや どろを かためて、 かべをつくり、くさを ほして やねを つくります。 これは にっぽんの いなかの のうかです。 かやのような くさで やねを ふいて、きや たけを つかって こんな りっぱな いえを つくりました。 これは わらぶきやねの いえです。 おおむかし、にんげんの せんぞは まだ もりの きの うえに いました。 その ころは あめや あらしが くると、 きの うえに かけあがって、こかげで じっとして あめの とおりすぎるのを まったのです。 やがて、にんげんの せんぞは ほかの さると わかれて、 もりから でて、そうげんで くらし はじめました。 そうげんには たべものが たくさん あるからです。 そして、すみかには、かぜも あめも あたらない ほらあなを みつけました。 ほらあなは あめも かぜも ふせぐ ことが できますが、 えものを おって くらすには ふべんです。 えものが いなく なると、いる ところまで おって いかなければ ならないからです。 そこで かんがえたのが この てんとです。 けものの けがわを きの えだや ほねに かけ、 まわりを ほねで おさえた ものです。 もって あるくのに とても べんりです。 やがて、なんまんねんか たち、にんげんは けものを おう ことを やめて、けものを かう ことを おぼえました。 そうなると、もう てんとを もって あるく ひつようは ありません。 けものが たべる くさが ある あいだ、 きまった ばしょに すみつく てんとが あれば よいのです。 ひるまは のんびりと うしを おったり、 ちちしぼりを したり します。 いままでの よるだけの くらしでは なく、 ひるまでも てんとの なかで すごすように なりました。 やがて、みなみの ほうの ひとたちが、 むぎの たねが とても おいしい ことに きが つき、 しぜんに はえて いる ものを とる ことから、 うえて そだてる ことを はじめました。 この ことは、たちまち せかいじゅうに ひろがって、 きまった ばしょに いっしょう すみつく ひとびとが あらわれました。 その ひとたちの いえは、つちを まるく ほり、 まんなかに ろを おいた ものです。 あじあの みなみの ほうから、むぎで なく、 こめの つくりかたが ひろがりはじめ、 にっぽんにも きました。 それと いっしょに、あまった いねを ためて おく そうこの つくりかたも つたわりました。 この いえは なつ すずしく、ふゆ あたたかいので、 やがて ひとが すむことに なります。 いねは みんなが ちからを あわせて つくりました。 すると、いねは あまって、たくさん もつ ひとと、すこししか もたない ひとが あらわれました。 たくさん もった ひとは もう あくせく はたらかず、ひるまも いえの なかで すごすように なりました。 これが きぞくの はじまりです。 そこで、いえも、ひとへやでは せまいので、 かぞくや けらいの へやは のきを つきだして ひさしと よばれる ところに つくられました。 こうして、ひとへやの いえから、ふたへやや みへやの いえに うつって いきます。 やがて まどが つくられました。 かぜとおしや あかりとりに とても つごうが よい ことが わかり、いろいろと くふう されて つたわって いきました。 やねも あめや ひょうや あられが ふると、 かやや くさぶきでは たちまち しみとおるので、 いろいろ くふうされ、かわらが つくられました。 かわらは つちを ねって、ひで やき、 たくさん ならべて じょうぶで ながもち しました。 にっぽんでは、おてらに はじめて つかわれたようです。 たいせつな ほとけさまを まもるためです。 ざいりょうの ない ところでは、やねと いっしょに かべも いろいろ くふうされ、 かんがえられたのが れんがです。 ねんどを ねって たいように ほして いたのが、 ひで やくと じょうぶに なる ことが わかりました。 かわらと れんがの くふうで、ほとんど どこにでも いえを たてる ことが できるように なりました。 そして、おおきく ひろくです。 にっぽんより もっと まえに、ぎりしゃという くにでは、 ふたへやから もっと たくさんの へやを もち、 それぞれの へやが もくてきを もって つくられた いえが できて いました。 いまの わたしたちの いえの はじまりです。 ぎりしゃに へやが たくさん ある いえが つくられるようになってから ごせんろっぴゃくねんぐらい たつと、よーろっぱには ちからを もった にんげんが ほうぼうに あらわれました。 そして、じぶんの りょうどを まもるために、 しろを きずいて たたかいを はじめました。 そのため ここには たくさんの ひとが すみ、 しろは たたかうための いえに なりました。 せいかつに ひまが できた にんげんは、 きゃんぷを する ことを かんがえました。 この きゃんぷのために かんがえられたのが、 とれーらーはうすです。 しぜんの なかを うつりすむ ことは、 とおい むかしの せんぞの すがたが しのばれます。 むかしは たべるために うつりすんで いたのが、 いまは せいかつを たのしむためと いえます。 いまの しろみたいと いえるのが、だんちです。 しろのように おおきくて、ひとつの たてものに たくさんの ひとが すんで いますね。 でも、これは たたかうための いえでは ありません。 ここでは たくさんの かぞくが それぞれ どくりつ して すんで いるのです。 ですから、だんちは いえの あつまりと いえます。 こうして いまも、たくさんの ひとが すこしも すみよい いえを おかねを かけずに つくろうと くふう して います。 この いえは ひとつ ひとつを こうじょうで つくり、 あとからつみかさねて いく いえです。 みた めも うつくしく、すみよい いえなのです。